2020/10/11 01:01:01
これは、コサギ。
足先が黄色く、くちばしが黒い。

テケテケ、ペタペタ、アオサギの2/3程の大きさ、
足も短い。
コサギは、大人になってもコサギ。
脚の長いアオサギと入れかわることはできない。
アオサギの、まがいものでなく、
コサギを全(まっと)うする。

ペタペタ、バシャバシャ、ジャブジャブ
瀬踏(せぶ)みもせず、突き進む。

獲物を追い出し捕食するために、
水底をパタパタ。

水面にジャブジャブと、顔ごと突き刺す、
数撃てば当たる?

獲物を捕り損ねても、メゲない
肩で風を切って、次の地点へ。
どのコサギも、捕獲スタイルは能動的。
生得的な構造からくるものなのか。

多くの動物は「学習により行動を変えることができる。」と言われており、
その習得は感受期と呼ばれる時期に限られていたり、
感受期が定まっておらず、成長してからも覚えることができる動物がいたりするのだそう。
人だと、生まれつきに崇高な理性が備わっているのか、白紙の心で生まれてくるのか、
どちらにしても、生まれつきの能力と、後天的な能力を鍛えるなら、
黄金の感受期は大切にしたいところ。
大人だったなら、脳や神経は
壊れても別のシナプスやネットワークを強化しインフラ整備すれば、
情報や神経は伝達されるのだとか。

もし、子どもの置かれた環境が不毛だったとしたら、
周りが、限られた時間の感受期にマトを絞ってでも、
どれだけ学習できる環境を整えられるかによって、
後世に受け継がれる未来に、風穴(かざあな)を開けられるのかもしれない。
KiiT



足先が黄色く、くちばしが黒い。

テケテケ、ペタペタ、アオサギの2/3程の大きさ、
足も短い。
コサギは、大人になってもコサギ。
脚の長いアオサギと入れかわることはできない。
アオサギの、まがいものでなく、
コサギを全(まっと)うする。

ペタペタ、バシャバシャ、ジャブジャブ
瀬踏(せぶ)みもせず、突き進む。

獲物を追い出し捕食するために、
水底をパタパタ。

水面にジャブジャブと、顔ごと突き刺す、
数撃てば当たる?

獲物を捕り損ねても、メゲない
肩で風を切って、次の地点へ。
どのコサギも、捕獲スタイルは能動的。
生得的な構造からくるものなのか。

多くの動物は「学習により行動を変えることができる。」と言われており、
その習得は感受期と呼ばれる時期に限られていたり、
感受期が定まっておらず、成長してからも覚えることができる動物がいたりするのだそう。
人だと、生まれつきに崇高な理性が備わっているのか、白紙の心で生まれてくるのか、
どちらにしても、生まれつきの能力と、後天的な能力を鍛えるなら、
黄金の感受期は大切にしたいところ。
大人だったなら、脳や神経は
壊れても別のシナプスやネットワークを強化しインフラ整備すれば、
情報や神経は伝達されるのだとか。

もし、子どもの置かれた環境が不毛だったとしたら、
周りが、限られた時間の感受期にマトを絞ってでも、
どれだけ学習できる環境を整えられるかによって、
後世に受け継がれる未来に、風穴(かざあな)を開けられるのかもしれない。
KiiT




2020/10/10 01:01:01
最後に残る痛さは、
空を飛ぶための羽をもぎ取られた気分。

いたたまれない痛さから、
浮き足立つコトバが口から出た。
「ゴミみたい」だと。
そこに照らし出された姿は、
輝いた光がなかったとしても、まだ羽が残っているというのに。

おぼつかない着地点、
筋道は見失わないように。

コレは、ガッチャマン?
杳(よう)とした上にも成り立ち、辿り着いた先で、
振り出しに戻ることがある。

その時、また障碍(しょうがい)の中で、
悦びに変える力は、のこっているのだろうか。

小さなコサギは黄色い足で、ペタペタと歩き回り魚を捕獲する。
アオサギは、じっとその時が来るのを微動だにせず、二本足で立つ。

太陽が沈む寸前になって、
生きモノに光があたりはじめる。
万物の中では、合理的法則にのっとって、
普遍的な正しさがあるというのに。
タラレバを言い出すと、
無駄な時間ばかり過ぎて行く。

その言葉を忘れず…、と、思ったのもつかの間、
数ヶ月後には、同じコトバを使ってしまった自己肯定力のない人間。
その言葉とは、「そんなことを言ってはいけません。
言霊(コトダマ)といわれるように、言葉にある力で本当にそうなってしまいますよ」と。
そんなようなことを言ってくださった気がする。
さりげない優しさと、
取り繕うでもなくピシャリとした言葉。
ヒトでいられる境目は、
そんな、言葉をかけてくれる人たちとの出逢いの中で、
諸行無常(しょぎょうむじょう)、現実世界のあらゆるモノが変化し続け、
永遠でない地球の上に生かされているのかもしれないな。
三度目は、天の神様すら
いなくならないように。
KiiT



空を飛ぶための羽をもぎ取られた気分。

いたたまれない痛さから、
浮き足立つコトバが口から出た。
「ゴミみたい」だと。
そこに照らし出された姿は、
輝いた光がなかったとしても、まだ羽が残っているというのに。

おぼつかない着地点、
筋道は見失わないように。

コレは、ガッチャマン?
杳(よう)とした上にも成り立ち、辿り着いた先で、
振り出しに戻ることがある。

その時、また障碍(しょうがい)の中で、
悦びに変える力は、のこっているのだろうか。

小さなコサギは黄色い足で、ペタペタと歩き回り魚を捕獲する。
アオサギは、じっとその時が来るのを微動だにせず、二本足で立つ。

太陽が沈む寸前になって、
生きモノに光があたりはじめる。
万物の中では、合理的法則にのっとって、
普遍的な正しさがあるというのに。
タラレバを言い出すと、
無駄な時間ばかり過ぎて行く。

その言葉を忘れず…、と、思ったのもつかの間、
数ヶ月後には、同じコトバを使ってしまった自己肯定力のない人間。
その言葉とは、「そんなことを言ってはいけません。
言霊(コトダマ)といわれるように、言葉にある力で本当にそうなってしまいますよ」と。
そんなようなことを言ってくださった気がする。
さりげない優しさと、
取り繕うでもなくピシャリとした言葉。
ヒトでいられる境目は、
そんな、言葉をかけてくれる人たちとの出逢いの中で、
諸行無常(しょぎょうむじょう)、現実世界のあらゆるモノが変化し続け、
永遠でない地球の上に生かされているのかもしれないな。
三度目は、天の神様すら
いなくならないように。
KiiT




2020/10/09 01:11:00
空気をつたわってきて、波の音や船のエンジンの音、
休日になると、子供たちが高らかに笑う声が聞こえてくる。
そのあいだに、カモメがカラスより高い声で「カァー」と、ひと声、鳴くと、
群れの中から一羽、飛び立つ。
夕暮れになると、山に帰るのか、
1羽が鳴くと集団で飛びはじめる。

カタチとは、美しさとは、
表象に正解を探してしまう人間。
そもそも、人間とは、
人間らしく生きるとは……。
これも、かもめ。
カラスと同じで“ ゴミ漁りの常習犯”なのだそう。

はじめて見たときの残像が美しかったから、
鋭い目に気づいても、正しく判断できなかったり
見た目の印象で、可愛いとか、優しい心なのだろうかと
誤解をしたまま、勝手な理想を投影。

これも、カモメ。
群れているカモメが真っ黒だったなら、
距離を置き、はじめからトリミング除外にするのかな。
KiiT



休日になると、子供たちが高らかに笑う声が聞こえてくる。
そのあいだに、カモメがカラスより高い声で「カァー」と、ひと声、鳴くと、
群れの中から一羽、飛び立つ。
夕暮れになると、山に帰るのか、
1羽が鳴くと集団で飛びはじめる。

カタチとは、美しさとは、
表象に正解を探してしまう人間。
そもそも、人間とは、
人間らしく生きるとは……。
これも、かもめ。
カラスと同じで“ ゴミ漁りの常習犯”なのだそう。

はじめて見たときの残像が美しかったから、
鋭い目に気づいても、正しく判断できなかったり
見た目の印象で、可愛いとか、優しい心なのだろうかと
誤解をしたまま、勝手な理想を投影。

これも、カモメ。
群れているカモメが真っ黒だったなら、
距離を置き、はじめからトリミング除外にするのかな。
KiiT




2020/10/08 01:11:27
生きモノ。
これはトンビ。地元の人たちは「トビ」という。
翼開長、約1.5m

氷の上でも滑っているかのようで、
惰性でなく、流されるでもなく、自由に飛翔する。これもトンビ。
可能性や選択の余地すら少ない世の中で、
平等に与えられた、朝夕の光が届かなかったら、さみしいだろうな。

キラッキラな光景を描けなくても、
ゆっくりと息を吸って、頭の中まで酸素をめぐらせ、
睡眠とって、食事して、疲れたら休息し、
自覚的に生きようと思えば、躓くこともあるだろうけど、
生きるということは、その繰り返しなのだろうか、とか。
これも、それもトンビ。
「トンビ」よく見ないまま、カテゴライズだけして終わらせてしまう人間。

いくつもの季節を超えて築いたラポールや、
確信を与え続けてくれたモノでさえ、
いとも簡単に輪郭を残すことなく崩れ落ち、
根底から揺るがされることがある。かもしれない。
また一つ、
カテゴリーが増えてしまわないように。

振り返ると、一回り小さな子供のトンビ。
遠くからでもはっきりとわかる、くるんっとまん丸な目が、こちらを見てた。
人だったなら、まっすぐな視線の先にいるのは、
他には成り替われない存在。

本の中にいるあの鳥は、
もう一度、最後に空を見上げた時
灼けてしまいそうなぐらい大きな太陽みたいな星のもとに、
近づいていたなら嬉しいだろうかな。
これはトンビ。地元の人たちは「トビ」という。
翼開長、約1.5m


氷の上でも滑っているかのようで、
惰性でなく、流されるでもなく、自由に飛翔する。これもトンビ。
可能性や選択の余地すら少ない世の中で、
平等に与えられた、朝夕の光が届かなかったら、さみしいだろうな。

キラッキラな光景を描けなくても、
ゆっくりと息を吸って、頭の中まで酸素をめぐらせ、
睡眠とって、食事して、疲れたら休息し、
自覚的に生きようと思えば、躓くこともあるだろうけど、
生きるということは、その繰り返しなのだろうか、とか。
これも、それもトンビ。
「トンビ」よく見ないまま、カテゴライズだけして終わらせてしまう人間。

いくつもの季節を超えて築いたラポールや、
確信を与え続けてくれたモノでさえ、
いとも簡単に輪郭を残すことなく崩れ落ち、
根底から揺るがされることがある。かもしれない。
また一つ、
カテゴリーが増えてしまわないように。

振り返ると、一回り小さな子供のトンビ。
遠くからでもはっきりとわかる、くるんっとまん丸な目が、こちらを見てた。
人だったなら、まっすぐな視線の先にいるのは、
他には成り替われない存在。

本の中にいるあの鳥は、
もう一度、最後に空を見上げた時
灼けてしまいそうなぐらい大きな太陽みたいな星のもとに、
近づいていたなら嬉しいだろうかな。

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